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2005年09月13日 (火) 00:00 | 編集

ふと道路脇に目をやると約400年前の一里塚の跡
があってビックリしました。
前もって調べてもいなかったので、急いでいたら
見落としていたでしょう。
今ではこの道は大通りではなく、奥州まで通じる大道
であったとは想像できませんでした。

木曽一里塚
織田信長以後、日本が統一へと動き始める
とともに、陸上交通の整備に力がそそがれ宿
駅制度も整ってきた。とくに慶長九年(一六〇四)
江戸幕府が江戸から四方に向かう五街道(東海、
中山、奥州、日光、甲州)を作らせたことは
著名である。一里塚はこれらの路程標識のた
めに一里の間隔で塚を道の両側に築いて榎を
植えたもので、一里を三六町(約四キロメートル)と
定めたのも以後のことといわれている。
木曽の一里塚は両側にあったが現在は西側
のものだけが残っているもので、塚の上には
武州御嶽山の大口真神の小祠がある。この一
里塚は奥州古道につくられており元和三年(
一六一七)徳川家康の遺骸を久能山から日光に改
葬するにあたり、大久保石見守長安によって
造られたものと伝えられている。この街道は
奥州に通ずる大道で江戸表を通るより近道で
安全だったといわれている。
以上、案内板より。
05年9月13日
東京都町田市木曽町 にて

【追記9月15日】
現在の道路の広さはこんな感じです。
写真左側に木曽一里塚跡があります。
05年9月14日
東京都町田市木曽町 にて
>>>その他の都下の史跡

使用カメラ:PENTAX Optio S50
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この記事へのコメント
はじめまして。
ご存じかとは思いますが、この一里塚の少し北にある福昌寺は、家康の遺骸を久能山から日光に移した際に休憩所となったお寺です。
ご存じかとは思いますが、この一里塚の少し北にある福昌寺は、家康の遺骸を久能山から日光に移した際に休憩所となったお寺です。
2007/12/13(木) 23:36 | URL | elan #dq1BtA8s[編集]
elanさん、初めまして。コメント有難う御座います。
福昌寺が休憩所となったお寺とは知りませんでした。
貴重な情報を頂き、有難う御座います。<(_ _)>
機会があったら福昌寺にも行ってみたいと思います。
日光東照宮へは小学校の修学旅行で行ったのですが、
家康の遺骸をこの辺りを通って運ばれたとはつい最近まで
知りませんでした。当時このことを知っていれば道中も
想像を働かせて、また違った見方も出来たかもしれません。
町田市、多摩市、相模原市はもっとアピールしてもいいの
では?とも思いました。
福昌寺が休憩所となったお寺とは知りませんでした。
貴重な情報を頂き、有難う御座います。<(_ _)>
機会があったら福昌寺にも行ってみたいと思います。
日光東照宮へは小学校の修学旅行で行ったのですが、
家康の遺骸をこの辺りを通って運ばれたとはつい最近まで
知りませんでした。当時このことを知っていれば道中も
想像を働かせて、また違った見方も出来たかもしれません。
町田市、多摩市、相模原市はもっとアピールしてもいいの
では?とも思いました。
2007/12/16(日) 15:12 | URL | 電柱男 #a2H6GHBU[編集]




