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2006年08月16日 (水) 12:28 | 編集

向坂の野津田公園西入口から入ったところに小野路の
一里塚がありました。

小野路の一里塚
古来、鎌倉みちは幕府のあった鎌倉から武蔵の国府である府中を
抜けて上州の高崎方面に続いていた。府中の手前にある小野路の宿
は鎌倉時代にできたと考えられる。
駿河の久能山に埋葬した徳川家康の遺骨を江戸時代の初期元和三
年(一六一七)三月に日光東照宮に移したときの街道の整備ととも
に小野路の一里塚は造られた。
伝承によると御尊櫃を乗せた輿が向坂を下ったときに壊れ、一行
が難渋し鍛冶屋を呼んで修理した。このときの小野路村の労苦に対
して、幕府は以後助郷を免除した。
この街道は御尊櫃御成道、また矢倉沢往還として利用され、東海
道平塚宿と甲州道府中宿を結ぶ脇往還として賑わった。江戸中期に
盛んになった大山詣での道として小野路の宿は賑わい、幕末ごろ、
旅籠が六軒あった。東海道の一里塚は五間四方あったというが小野
路の一里塚は一回り小さかった。榎の木が植えられており、ここで
旅人は一服つけたのではなかろうか。町田市では他に木曽の一里塚
が残っているが、多摩市貝取にあった塚は現在残っていない。
一九九一・四・一
小島政孝稿
以上、案内板より。



おおやまみち


写真奥・厚木方面、手前・府中方面へ向かうおおやまみち

至 府中

写真奥・府中方面、手前・厚木方面へ向かうおおやまみち

至 厚木
大山道(おおやまみち)は、昔の面影を残す細い道です。
自動車1台がやっとの道幅で、現代人にとっては不便と
感じますが、当時はこれで十分だったのでしょうね。
06年8月15日
東京都町田市小野路町 にて
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使用カメラ:PENTAX Optio S50
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