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・御尊櫃御成道
2006年09月16日 (土) 00:26 | 編集
「御尊櫃御成道」と呼ばれている徳川家康の遺骸を
日光東照宮に移す際、通った道に造られた一里塚を
今までに4つ発見しました。
その一里塚の点と点を結んでいき、その道筋を
辿ってみようと思いましたが、木曽と新戸の間に
あったとされる一里塚は今は無いため、その間の
道筋が不明でした。
手がかりとして小野路の一里塚で、この道は後の
江戸中期に大山詣での道として利用されたということ
が分かったので、大山道という視点から調べてみると、
この「道者みち」の道標を見つけました。
道標の説明文からも
「磯部道」(=新戸の一里塚の北隣が磯部)
「木曽道」(=木曽一里塚)
と呼ばれていたということから「御尊櫃御成道」の道筋
であったと推測できます。

道者(どうしゃ)みち


大山参りの人々(道者)がよく利用した道だったので、この
ように呼ばれていました。また、「大山道」「磯部道」「木
曽道」などともいいます。

北 木曽方面
南 磯部方面

写真奥方向 木曽方面
手前方向 磯部方面

写真奥方向 磯部方面
手前方向 木曽方面
鵜野森の道標と同じように分かれ道にありました。
06年9月3日
神奈川県相模原市大野台 にて
※こちらは当ブログテーマの東京都下ではありませんが番外編として。
>>>その他の都下の史跡

使用カメラ:PENTAX Optio S50
日光東照宮に移す際、通った道に造られた一里塚を
今までに4つ発見しました。
その一里塚の点と点を結んでいき、その道筋を
辿ってみようと思いましたが、木曽と新戸の間に
あったとされる一里塚は今は無いため、その間の
道筋が不明でした。
手がかりとして小野路の一里塚で、この道は後の
江戸中期に大山詣での道として利用されたということ
が分かったので、大山道という視点から調べてみると、
この「道者みち」の道標を見つけました。
道標の説明文からも
「磯部道」(=新戸の一里塚の北隣が磯部)
「木曽道」(=木曽一里塚)
と呼ばれていたということから「御尊櫃御成道」の道筋
であったと推測できます。

道者(どうしゃ)みち


大山参りの人々(道者)がよく利用した道だったので、この
ように呼ばれていました。また、「大山道」「磯部道」「木
曽道」などともいいます。

北 木曽方面
南 磯部方面

写真奥方向 木曽方面
手前方向 磯部方面

写真奥方向 磯部方面
手前方向 木曽方面
鵜野森の道標と同じように分かれ道にありました。
06年9月3日
神奈川県相模原市大野台 にて
※こちらは当ブログテーマの東京都下ではありませんが番外編として。
>>>その他の都下の史跡

使用カメラ:PENTAX Optio S50
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